アラスカ航空の垂直尾翼に描かれている顔を見た人は誰でも知りたいのが、「あれは誰なんだろう?」この疑問はアメリカでも話題なのです。アラスカ航空で働いている社員でも明確な答えを知りません。そんな『アラスカ航空最大の謎』に迫ってみましょう。
まず、この顔のロゴは1971年それまで業績が悪化して混乱していたアラスカ航空のイメージを払拭する狙いで1972年に他のロゴと合わせて4種類が採用され、1976年までは4種類のロゴの機体が飛行していました。その4種類とは
- アラスカ南東部の先住民文化である『トーテムポール』
- アラスカゴールドラッシュ時代の『金鉱夫』
- ロシア時代の遺産である『ロシアの尖塔』
- アラスカの先住民である『エスキモー』
そして1976年に全ての機体に今のアラスカの先住民『エスキモー』の顔が採用されました。以上のようにあのロゴはこのような経緯でエスキモーの顔だということがはっきりしている。
今でも、初めて見る人に誰に似ていると問えば色々な答えが返ってくる。リンカーン大統領、ジミヘン、ボブ・マーリー、ジョニー・キャッシュ、そしてライオンと答える人もいました。では一体、エスキモーの誰がモデルになったのかの論争は今でも続いており、その答えをエスキモーの人たちに尋ねれば必ずと言っていいほど、自分たちの村に住んでいる祖父がモデルと答える。その中でも最も有力なのはアラスカ州北西の北極圏にある人口3,200人のコッツェビューのエスキモーダンサーでトナカイの牧畜業でよく知られたチェスター・セベックです。彼はアラスカ航空の飛行機が到着するのを毎回迎えていました。もう一人は1950年代にアラスカ航空に雇われて観光用のステージショーに出演していたイヌピアック族のエスキモーであるオリバー・アムアックという説もあるのです。どちらにせよアラスカ先住民でアラスカ航空に深く関わりがある人物です。
結論的には、誰がモデルになったかではなく、アラスカ航空は社員とお客様にとって、エスキモーは飛行機の尾翼に描かれた顔ではなく、エスキモーは人と人が愛する航空会社との繋がりを映し出しております。「アラスカ航空には魂があり、精神もあります。そして私にとってエスキモーは、私たちが何者であるかを体現しているのです」と会長兼CEOのブラッド・チルデンは言います。さらにはパイロットであるラッセル・ダンラップ氏は「尾翼に描かれているエスキモーは我々の先頭を走っています。ずっとそこにいて、これからもずっとそこにいるでしょう」と語りました。
では、皆さま良い1日を!
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